父の死

先月13日に父の主治医から、父はもって年内だと告げられたのだが、そこから1か月も経たず父が他界。

その数日前から、やたら寂しかった。家族の誰かに会いたくて仕方なかった。出来れば父に、だ。

父は癌で入院していたのだがコロナ禍につきその病院では全ての患者への面会が禁止されていた。だから父には会えるわけがない。しかし病室にスマホを持ち込んでいる(持ち込みや使用は禁止されていない)ので、電話をかけて父の声を聴きたかった。もうすぐ聴けなくなるのは確実なので、ひと言でも父の声を聴きたかった。しかし自分がもうもたないということは本人も知らされているだろう。そんな状況の人に電話をかけて、何を喋ればいいのだろうか。とてもかけられなかった。

そして9月7日だ。21時過ぎに実家から連絡があり、もうだめだと。甥が迎えに行くからすぐ病院へ来いとのこと。

びっくりするくらい早く迎えに来てくれた甥の運転で市民病院へ向かったのだが、我々の到着数分前に義姉から連絡があり、亡くなった、と。

正直、間に合うんだろうと思っていた。ドラマやアニメなんかであるように、最期のお別れが出来ると思っていたのだが、それは家族の誰にも叶わず。

前述の通りコロナ禍なので父の病室へは3名までと言われていたためまずは甥が行き、俺は廊下で母、義姉、姪、伯父達と待っていた。既に父と対面した姪は憔悴しているようだった。

しばらくして、やはり憔悴した様子の甥が戻ってきたので俺が会いに行くことになったが、脚が動かなかった。あれほど会いたがっていたのに、会うのが怖かった。もう喋らず動きもしない父を目の前にする勇気がなかったのだ。

しかし行くしかない。思い切って病室へ向かった。

ベッドの横に兄が立っていた。あとひとり誰かいたはずだが、覚えてない。

そしてベッドを見ると父。最後に会ったのは7月22日のはず。ひと月半ぶりか。

癌が骨にまで転移しており、これは非常に苦しいらしい。しかし亡骸となった父は穏やかな顔をしていた。意外なくらい肌も綺麗に思えた。顔だけ見れば健康な人の寝顔だ。

ここしばらくずっと寝たきりで面会もさせてもらえず、医師や看護師にしか会うこともなかっただろう。父の顔が向いている方向を見上げた。病室の単なる天井である。来る日も来る日も、この天井だけを見ていたんだろう。父の眼が最後に見たのも、この天井かも知れない。

家族や友人とも会えず、自分の死期が近いことも知りながら、どんな気持ちでこの天井を眺めていたんだろうか。寂しかったろう。心細かったろう。

もっと喋りたかった。声を聞きたかった。家族で写真を撮りたかった。

 

9月7日、火曜日のことだった。